you are most difficult subject in my life.
16 months
ピールパイへ
あなたの文書をよませていただきました。
なんだか、いろいろな薄っぺらい概念を、さも心理のように書きまくり、
自分の家族の生命を、みんなと「シェアリング」したいなどと仰る。
そんなに、気軽に家族の生命を、家族の存在を他者と「シェアリング」してよいのでしょうか?
ドキュメンタリーと称して、自分の子供の出産をブログに、軽快な文章で書いてよいものなのでしょうか?
最後の写真に写っているあなたの顔をもう一度、しっかり見つめてください。
そして、あなたの文章にあるこの言葉の真意を伺いたい
(以下引用)
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使うツールは違えども行きつく境地はすべて同じだと思う。
もうその頃になると俺の足は筋肉痛を通り越して肉離れのようになっていた。
それでもただひたすらに一心不乱に踊り続けた。
今回のこの2日間は俺自身サンダンス(ネイティブ インディアンに伝わる儀礼で4日間飲まず食わずで踊り続ける儀式のこと)だと思って臨んでいる。
思考を飛ばし、音に繋がって、体の奥深くから螺旋を描き昇ってくるエネルギーに身をゆだねていく 、それはパキスタンのスーフィーの巡礼で俺が命懸けで学んだこと。
主催である
俺が先頭切って全身全霊で踊ることで、楽しむということを、そして自分の世界を生きるということをみんなに感じてもらいたかった。
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あなたが「スーフィー巡礼」で、命がけで学んだことは、なんでしょうか?
スーフィーにおいて,ダマールし、トランスする意味と、あなたが行う、「自称儀式」で踊ってトランスすることが同じ意味につながるのでしょうか?私の解釈では、「ダマール」はあくまで、ダマールし、その土地の聖者の境地に近づきたいという、修行だと考えています。その背景には「己を捨てる」ことではないかと考えています。その「己を捨てる」という意味に、「楽しむこと、そして、自分の世界で生きる」という意味ではないことは、あなたもマーレンシャーの一員として,頭を剃り、眉を剃り、アンマラリーババから、名前をもらい、巡礼に連れて行ってもらった経験で、ご存知だともいます。忘れてしまいましたか?
なぜ、マーレンシャーのナラは、
「Bolo Bolo Shaki Maleng Shah Khadar Qalandar Mast, Ya Ali, Hadar」
というのか、考えたことがありますか?
あなたの考えは、
「主催である俺が先頭切って全身全霊で踊ることで、楽しむということを、そして自分の世界を生きるということをみんなに感じてもらいたかった。」
あなたが、ラウート、そして、アンマラリーババから、感じたことは、「楽しむということを、そして自分の世界を生きるということ」なのでしょうか?
私には、あたたは間逆なことをやっているようにしか思えません。
私が知る限りのラウティーに、「自分の世界」で生きている人はいません。これだけは断言できます。
マーレンシャのような、独自の世界観を持っている集団でさえ、精神的支柱に「アラー」があると思います。とくにあなたが所属している、マーレンシャーのどこに「おのれ」があるのでしょうか?
そして、最後に伺いたい。あなたの精神的支柱は、なんですか?
高尾山ですか?原始ですか?アイヌですか?エチオピアですか?ネオネイティブですか?日本人ですか?